2019年8月2日金曜日

【学問のミカタ】新卒一括採用は誰のためのものか?

 経済学部の井上です。今回のブログでは、新卒一括採用について考えてみたいと思います。

新卒一括採用がなくなる?

 今年の4月に新卒の一括採用に加え、通年での採用も含めた多様な 形態に移行することで経団連が大学側と合意(注1)したという報道があり世間の注目を集めました。この合意を受けて、これまでの3月広報解禁、6月面接解禁というルールが廃止されることになり、2020年度以降の就活については通年採用に移行することになります。同時に春の新卒一括採用中心の仕組みも見直し、専門スキルを重視した「ジョブ型採用」もふくめて多様な形態に移行する動きもも始まります。

 この合意された提言の内容については新卒一括採用そのものが廃止されるとの誤解もあったようです。しかし、提言は実際には新卒一括採用以外の中途採用などの複数の採用手段を確保することなどを想定しており、現段階で新卒一括制度を完全にやめてしまうことまで意図したものではありません。

 実はこの合意は日本型雇用という視点から見るといろいろな問題を提起する重要な提言となっています。もともと2020年の新卒採用についてはオリンピック開催の影響で大学生のボランティア参加などの要請もあり、これまでの就活ルールでは対応できないため、採用時期を前倒しする必要があることは認識されていました。しかし、昨年10月の経団連会長の発言が、採用手続の時期の前倒しにとどまらず、ルールそのものを廃止してしまうというより踏み込んだ内容となったことを受けて、実際に2020年以降の就活がどのような形になるかについて様々な議論が行われてきました。

 採用手続の時期に関するルール廃止だけでも学生に与える影響は大きくなるでしょうし、さらに新卒一括採用の位置づけを変更することになると日本型雇用にも大きな影響もおよぼすことになります。

 以下では、特に大学生の視点に立って今回合意された内容について考えてみたいと思います。

大学生にはどのような影響が出るのか?

 まず2020年以降に就活を行う大学生に直接影響を与えるのは採用の通年化でしょう。

 就活の時期に関する2015年以降のルールは政府主導で決められたものです。それまでは4月面接解禁というルールでしたが、これが大学生の学業を阻害しているという理由などから8月まで後ろ倒しされました。これはその後6月に前倒しされましたが、実際には4月解禁に比べて4年生の大学の学業に与える影響が深刻化し、当初の目的を達したとは言いがたい結果となっているとの批判があります。採用時期の後ろ倒しは留学生などのチャンスを広げるという事も意図していましたが、そもそも留学生の規模が限定されている状態では目立った成果を上げたとは言いがたいでしょう。

 では今回の合意にしたがって採用時期に関するルールを廃止した場合に何が起こるのでしょうか?海老原氏が詳細に解説してるように(注2)採用の超早期化が起こることが予測されます。

 すでにルールが存在しなかった1997年から2002年の間にまさにそのような状態となっていました。ルールがなくなればこれが再現するでしょう。この場合、大学生も企業にも深刻な損失が発生します。大学生は早期から就活を持続する必要があり、長期間にわたって学業が阻害されることになります。企業も早期に内定を決めた学生を長期間かけて大学生を囲い込もうとするでしょうが、実際に最終的に採用が実現する保証はなく、優秀な学生ほどより条件の良い他社に流れてしまうことになります。

 就活に関するルールは既得権益者を保護するために市場にゆがみを与えるような参入・価格規制とは異なる役割を果たしていることを理解する必要があります。学生を採用しようとする企業がルールなしに勝手な行動をとってしまうことが、企業にとっても大学生にとっても望ましくない結果に終わるという状況は、ゲーム理論における囚人のジレンマに似たような状況とも言えます。ルールなしで相手の裏をかきながら先手を取り合う中で、参加者全員が疲弊してしまうような状況に比べると、参加者がルールを決めて協調的な行動をとる結果、参加者全員にとってよりよい状況を作り出すことができると考えられます。

 企業には節度ある対応が求められるとしても、現実の過去の実績をみるとルールなしの通年採用が行き着くところは採用の超早期化に逆戻りすることになる可能性が高いでしょう。もしそうなってしまった場合には、大学生としては受け身の対応とならざるを得ません。自分自身で学業とのバランスをいかに確保するかを考えるしかないでしょう。

 大学生の立場から見れば学業への影響を考慮しながら企業側で何らかのルールを決め、それを遵守する対応が望まれます。

新卒一括採用で得をしているの誰か?

 今回の提言を受けて、新卒一括採用の見直しについて新聞などのメディアでは歓迎する声が多いようです。日経新聞の社説でも「新卒一括採用の見直しは時代の要請である」と主張しています(注3)。

 もともと新卒一括採用は大学生にとって酷な仕組みであるとの批判がありました。その理由としては、就活で短期間のうちに一生の勤め先となる企業を見つけることは難しいこと、一度限りのチャンスなので就活に失敗するとアルバイトのアドの非正規雇用になってしまい、そこから正規雇用に転換することは不可能となることなどがあげられていました。このような就活のなかで学生が受ける精神的なストレスも大きく、新卒一括採用は学生にとって過酷な仕組みだという見方につながったようです。

 さらに1990年代の就職氷河期と呼ばれる時期には,大学生の就職が難しくなっているのは、過去に採用されて社内で余剰人員となっている中高年のせいで、彼らを容易に解雇できるようになればやる気のある若者の就職のチャンスが広がるという主張もありました。これは新卒一括採用をやめて一般労働市場で新卒も既卒も競争を行うことで雇用流動性を高めるべきだという考え方でした。雇用流動性を高めることは労働者間の競争を促進し、生産性の向上につながるという考え方もあります。今回の経団連の動きもこの主張の延長線上にあると考えられます。

 しかし、新卒一括採用をやめて、雇用流動性を高めるという制度改革は本当に新卒を中心とする若者に利益をもたらすでしょうか?雇用流動性が高い海外の実績を見る限り全く逆の結果をもたらすことになると言えます。

 新卒と社内で余っていて解雇された中高年が一般労働市場で同じ条件で争った場合に,やる気のある若者が勝つという主張は夢物語のように聞こえます。実社会での仕事に関して全く無経験の若者が、社内で能力は発揮できなかったとはいえ長年の勤務実績を有する中高年と採用面接で競争すれば、中高年が圧倒的に優位な立場に立つのは当然です。実際に雇用流動性が高いアメリカでリーマン・ショック以降の深刻な不景気な時期に大量の失業が発生した際には、職を失った中高年が賃金をダンピングしながら職を必死で探した結果、若者は低賃金の劣悪な職種でしか職を見つけられないという悲惨な状況になってしまったことを考えると、雇用流動性の高い社会の行く末が見えてきます。

 新卒一括採用はいわゆる日本型雇用と密接な関係があります。日本型雇用の特徴としては,一般的にには終身雇用、年功賃金、企業別労働組合などがあげられます。しかし、これですべてが語り尽くされるわけではありません。終身雇用とは、言い換えれば長期雇用関係の約束であり、その約束のなかで雇用者は様々なポストを経験することになります。場合によっては地域、職種、同僚などを大幅に変更しながら個人の能力発揮の機会を何度も試すことが可能になる仕組みになっているのです。新卒の段階では潜在能力が問われるものの、個別業務に関する能力の審査までは行われません。

 新卒一括採用は勤務実績のない状態の学生を企業が受け入れることを可能にするという点で、実は若者にっとって極めて有利な仕組みになっているのです。

 これは企業にとってもメリットがあります。新卒一括採用は、単に大量生産を可能にするための技能を蓄積させるだけの時代遅れの制度として簡単に片付けられるのもではありません。日本企業では、特に文系総合職採用の場合は無限定型となり、特定の職務内容に縛り付けるような契約関係にはなりません。長期的な雇用関係の中で様々なポストを経験することで、社内で必要とされる能力を有する人材が自然に形成される仕組みになっています。この結果、定年を迎えたなどの理由で有能な人材が退職する場合でも、社内での異動、昇進などで柔軟に補充することが可能となっているのです。

 これに対して海外で採用されているジョブ型採用のシステムでは、求人対象となる勤務内容が厳格に規定されおり、その条件を満たした候補者だけが選考の対象となる仕組みなっています。これが新卒者にとっていかに過酷な仕組みなっているかは考えてみれば容易にわかるでしょう。勤務実績がない新卒者はそもそも競争の入り口に立つことさえできないのです。これを克服するために、欧州ではインターン制度が存在します。しかし、この実態はほぼブラック企業に匹敵するような搾取の構造となっています。学生としては勤務実績を作るためにはこのルートをとること以外に選択の余地がないので、過酷な条件の下で働くしかありません。

 新卒一括採用を放棄し、ジョブ型採用を中心とする中途採用に移行することが、いかに若者に対して過酷な制度変更になるかは、ジョブ型採用をとっている海外の事例を見れば明らかです。今回の提言では、ここまで明確な方針転換は示されていません。しかし、経団連の発想の根底にあるのは雇用流動化に向けた動きであり、その前提にジョブ型雇用が想定されていることには注意が必要です。ジョブ型雇用への移行は、企業内でのOJTon the job training、職場内教育訓練)の放棄につながる恐れがあります。実際、提言の中には専門的な職種については企業内で育成しきれないとの記述もあります。これは企業としての人材育成の責任放棄であり、その結果は専門的技能を有する人材の労働市場での奪い合いにつながるでしょう。

日本の労働市場に占める中小企業の重要性

 ただ視点を変えてみるといわゆる日本型雇用が適用される範囲はかなり限定的であることも事実でです。日本の雇用者のうち7割が中小企業であり、新卒で見ても大卒者の大手企業での採用は2割程度です。典型的な日本型雇用制度が適用される雇用者は大企業の男性正規採用の職員に限定されてきたという実態を考えると、これまで論じてきた制度変更による影響を受ける範囲はある程度限定されるかもしれません。

 逆にみれば、新卒の大部分を占める中小企業での雇用状況は元々かなり流動的で、よりよい職場を求めての転職も柔軟に行われていました。よく言われる多くの若者が3年以内に会社をやめるという実態は、むしろこうした雇用流動性の高さを示すものとも言えるでしょう。さらに大企業もすでに第二新卒などを含めて中途採用には柔軟に取り組み始めており、雇用流動性についてはすでに日本でも十分確保されてきているのが実態だと言えます。

 ただ,その場合でも優良な中小・中堅企業は新卒採用を重視しているにもかかわらず、むしろ充足できていないという現実もあります。
 
大学生の立場を考えた現実的な就活対応への期待

 就活を行う大学生の大部分には、最終的には堅実な中小・中堅企業の正職員として就職する道が開けており、その後も自分の意思で実績を示しながらさらに納得のできる転職の可能性もあるのです。こうした現実を理解できない学生は、ルール廃止の通年採用の下でははいつまでも大企業幻想にとらわれて就活を続けてしまう恐れがあります。こうした状況を回避するためには、大学生と中小・中堅企業とのマッチングの機会を確保する努力を続けていく必要があります。

 過去の実績を踏まえて予測できるのはルール廃止の伴う混乱の発生です。企業、政府、大学が責任をとることを嫌いルール廃止が実現してしてしまうと、企業にとっても大学生にとっても採用の超早期化による不幸な結果がもたらされることになるでしょう。何らかの形で採用手続について、学業にできるだけ支障のないような開始時点を明確に規定するようなルール作りを目指して、関係者の再度の意見調整がなされることが望まれます。

 就活に際しては、日本経済全体の中での日本型雇用の実態について学生もしっかりとした理解を持って自分自身の就活に取り組む必要があるでしょう。就職することによって社内で自分がどのようなキャリアパスをとることになるのか、それによって自分はどのような能力を有する働き手になるのか、その結果どのように会社に貢献することになるのか、自分自身で考えながら就活を行うことが必要です。

 企業側もいたずらに自社の短期的な利益を優先するのではなく、しっかりとした長期的なビジョンも持って採用活動を行う必要があります。短期的なコストを省くことを優先して外部からのジョブ型採用を増やし、自社内での人材育成を放棄することは、短期的には費用削減効果は持つかもしれません。しかし、これが長期的に有能な新卒社員を安定的に確保することが難しくなるという効果をもたらすことにも留意する必要があるでしょう。

1:「採用と大学教育の未来に関する産学協議会 中間とりまとめと共同提言」、採用と大学教育の未来に関する産学協議会、2019年4月22日(https://www.keidanren.or.jp/policy/2019/037_honbun.pdf)

2:海老原 嗣生、「就活を「自由化・通年化」しても、うまくいかないこれだけの理由」(https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZZO3578154026092018000000) 

3:「新卒一括採用が企業の成長を阻んでいる(社説)」、2019年月24日 、日本経済新聞

参考文献

海老原嗣生(2010)『「若者はかわいそう」論のウソ』扶桑社
海老原嗣生(2011)『就職、絶望期―「若者はかわいそう」論の失敗』扶桑社
海老原嗣生(2016)『お祈りメール来た、日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 』文藝春秋
城繁幸(2006)『若者はなぜ3年で辞めるのか?年功序列が奪う日本の未来』 光文社
城繁幸(2012)『若者を殺すのは誰か? 』扶桑社
玄田有史(2005)『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在』中央公論新社
増田悦佐(2012)「労働力市場を流動化させれば、若者の労働環境が良くなるというのはイス取りゲーム経済学」、『経済学「七つの常識」の化けの皮をはぐ アベノミクスで躍り出た魑魅魍魎たち(5)PHP研究所

2019年5月30日木曜日

【学問のミカタ】経済効果を計算する

 経済学部の井上裕行と申します。今年度から経済学部のブログ作成に携わることになりました。よろしくお願い申し上げます。

 新聞やテレビをみていると「○○の経済効果は○○兆円」というようなニュースを見かけることがあります。最近では東京オリンピックの開催や令和改元などについてその経済効果が試算され話題になりました。今回はこうした経済効果の試算分析について考えてみたいと思います。

話題を提供する経済効果分析

 このような経済効果の分析は頻繁に民間の研究機関から発表されています。銀行、証券会社、生命保険会社などの研究部門は一般向けに様々な報告書を発表しています。特に世間が注目するような出来事についてはその経済効果についての関心も強く、分析結果がテレビや新聞などのメディアで取り上げられる機会も多くなります。民間機関がこのような分析を公表する目的としては、一般の注目を集めることで本業の資産運用などで顧客を増やすことなどが考えられます。分析能力の高さを示すことは顧客の資産運用能力への信頼を増すことにもつながります。
 最近話題になった令和改元の経済効果としては 、ゴム印・Tシャツ・カレンダーなどの令和関連グッズの売り上げに注目したり、10連休の経済効果を試算したり、興味深い内容の報告書が出ていました。

東京オリンピックで景気がよくなる?

 東京オリンピックの経済効果についてはこれまでに多くの分析結果が発表されてきました。やはりオリンピックという国を挙げてのイベントということで注目を集める報告が多数出されてきました。たとえば東京都オリンピック・パラリンピック準備局は経済効果が32兆円程度、みずほ総合研究所は30兆円程度と試算しています。日本のGDP550兆円程度ですから、オリンピックは日本経済全体に影響を与えるような規模の経済効果を持っていると言えるでしょう。日本銀行も2015年から2018 年の日本の実質GDP成長率を毎年+0.20.3%ポイント程度押し上げると試算しています。 

 これらの分析ではどのようにしてオリンピックの経済効果を計算しているのでしょか?実は経済学の考え方を応用した計算を行うことで、このような結果が導き出されています。例えば、オリンピックに必要な競技場を建設する場合にはそのための建築費が支払われます。これは直接GDPを押し上げる効果がありますし、さらに建設業の活動水準が高まるとほかの産業への需要も拡大する効果があります。このような間接的な波及効果は産業連関分析という手法を用いて計算することができます。オリンピックについては外国人訪問客の増加と国内観光支出の増加など様々な派生需要もあり、さらにその波及効果も期待できます。このようにして計算された結果を積み上げたものがオリンピックの経済効果としてまとめられることになります。

計算された経済効果はどこまで信頼できるか?

 確かにこのような分析は経済学の理論を応用した結果であり、単なる推測とは異なるものです。しかし、これらの結果をそのまま受け入れることには注意が必要です。たとえば東京都とみずほ総研の試算結果だけ見ると30兆円程度となっているので同じような経済効果のように見えるでしょう。しかし実際には都の試算は、招致が決まった2013年から30年(大会10年後)までの18年間についての効果を試算している一方、みずほ総研は2014年から20年の7年間についての試算結果となっています。そう考えるとむしろ両者の結果は大きく異なると言えるでしょう。
 さらに注意が必要なのは、このような分析を行う場合には様々な前提が置かれており、その設定次第で結果は異なるということです。経済学の知識を身につけることで、このような分析についても自分自身の評価を行うことができるようになるでしょう。

消費税率引き上げをめぐる政策論議

 最近盛り上がりを見せているのは消費税増税の是非を巡る議論です。この議論を理解するためには消費税増税の経済効果を理解しておくことが必要です。このような政府の重要な経済政策の経済効果を政府として把握する際には、 内閣府の経済社会総合研究所が管理している短期日本経済マクロ計量モデルが利用されます。これはマクロ経済学と計量経済学を応用して現実の日本経済の動きを再現できるようにした経済モデルです。このモデルは消費税を増税すると消費、物価などが変化し、最終的にGDPがどのように変化するかについてシミュレーションを行い、結果として示すことができます。実際に消費税率を2パーセント上げるとGDP0.6パーセントポイント程度押し下げられるという結果が示されています。過去4年間平均のGDP成長率が1パーセント程度であったことを考えると、消費税率2パーセント引き上げの影響は相当大きなものであるという評価ができるでしょう。
 特に前回の消費税率引き上げ(20144月に5パーセントから8パーセントに引き上げ)の後に経済活動が押し下げられたという経験もあり、現在の景気局面で消費税を引き上げるべきかどうかという議論が再燃しているようです。
 消費税引き上げの経済へのマイナスの影響を打ち消すために、様々な消費刺激策などが検討されているのもこうした事情を反映しています。
 このような議論を理解するには、日本経済全体の動きを見るためのマクロ経済学の知識が有効です。さらに計量経済学の知識も身につければ政府が経済政策の立案・運営に参考にしているマクロ計量モデルの分析結果を評価することも可能になります。

経済効果分析は経済学の応用問題

 これまでみてきたように様々な現象について経済学の知識を活用してその経済効果を試算すること可能です。世間に公表されている経済効果の分析は読み物としても楽しめるものが多く、気軽に読んでみることをおすすめします。経済学を勉強することで自分自身の評価ができるようになるとさらに知的な興味が深まるでしょう。これは政府の経済政策について議論する場合でも同じです。国民として望ましい経済政策運営が行われているかどうかを判断するためには経済学の知識は必要不可欠なものと言えるでしょう。


【参考文献】
「改元効果の再検討〜持続性のある効果に結びつくか〜」、第一生命経済研究所 、20193
「令和効果、1週間の記録〜月額11 億円の販売増〜」、第一生命経済研究所 、20194
「東京2020 大会開催に伴う経済波及効果(試算結果のまとめ」、東京都 オリンピック・パラリンピック準備局、20174
2020年東京オリンピック・ パラリンピックの経済効果 〜ポスト五輪を見据えたレガシーとしてのスポーツ産業の成長に向けて〜 」、みずほ総合研究所、20172
2020年東京オリンピックの経済効果」、BOJ Reports & Research Papers、日本銀行、201512
「短期日本経済マクロ計量モデル(2018年版)の構造と乗数分析」、丸山 雅章他、内閣府経済社会総合研究所、20189

2019年3月15日金曜日

【学問のミカタ】東京一極集中とは

 経済学部の浄土です。今回のブログでは、東京一極集中について考えてみたいと思います。

東京一極集中とは

 東京一極集中とは、全国に分散しているヒト、モノ、カネ、情報(あるいはこれらをひっくるめた企業)が東京に集中する現象のことをいいます。この現象は、日本の総人口の増減にかかわらず、地方の過疎化をも同時に意味し、地域間の経済的格差の原因にもなっています。

東京一極集中の是正策

 これまで、東京一極集中の是正や過疎化対策として、政府や地方自治体によってさまざまな取り組みが行われてきました。

 地方への企業誘致を促す補助金、企業への土地の提供、最近では、地方創生に基づく各種補助金などがあります。

 しかし、このような対策にもかかわらず、企業の東京進出には歯止めがかかっていません。

 いったいどのような要因が企業の東京進出をもたらしているのでしょうか。

2つのポイント

まずは、架空の例を用いて、東京一極集中のメカニズムを解き明かしたいと思います。

 ポイントは「対面によるコミュニケーション」注1と「移動によるコスト」です。
 
 架空の例とは、次のようなものです。

ある進学校における生徒のクラス配分

ある高校を想定します。その高校は進学校で、各学年に1組と2組の2クラスがあります。その高校の生徒は全員が、第一志望の大学進学を目指し、日夜受験勉強に励んでいるものとします。ただし、1組にだけ勉強ができる優秀な生徒が1人いるものとします。それ以外の生徒は、その時点では全員が同じ学力とします。教室の広さ、設備、生徒数も1組と2組では同じとします。クラス担任の教師も同じとします。また、生徒は事前にクラスを選ぶことができず、途中でクラスを変更することもできません。

 ここで、対面によるコミュニケーションを「クラスメート同士による勉強についてのコミュニケーション」とします。また、移動によるコストを「生徒が自分のクラスを選べる度合い」とします。上の例では、生徒はクラスを自由に選べないので、移動コストが高いケースとなります。

移動コストの低下の影響

 さて、ある学期からその高校のルールが変わり、生徒がクラスを自身で選べるようになったとしましょう。これは移動コストの低下を意味します。

 このとき、各クラスの生徒の割合はどのように変わるでしょうか。

 予想されるのは、2組の生徒が減り1組の生徒が増えるというものです。第一志望の大学合格を目指す生徒にとって、周囲に一人でも優秀な生徒がいる方が、その生徒とのコミュニケーションが増え、勉強の効率が上がるからです。

 勉強ができる生徒が近くにいれば、気軽に問題の解き方を教えてもらえます。教師とその優秀な生徒との質疑応答のやりとりから学ぶ機会もあります。おすすめの参考書や模試など受験に関係した有益な情報を得る機会もあります。

 このような機会は、同じ狭い空間で互いに顔見知りであるからこそ到来するのであって、別のクラスの生徒が同じ機会を得ることはできません。

 つまり、優秀な生徒が1人いるだけで、1組の生徒全員の成績が向上し、それが教室内でのコミュニケーションを通してさらなる成績向上につながるのです。

 そして、そのような成績向上の好循環を期待できるからこそ、2組の生徒は1組に移動する意味が生まれるのです(もちろん1組の生徒はそのまま1組に留まります)。

 一方、教室の広さは有限ですので、1組の教室は生徒でいっぱいになり、そこの生徒はとても窮屈な環境を強いられます。勉強の快適さでいえば、空きスペースのある2組の方が1組をはるかに上回っています。

 しかし、生徒はみな第一志望の大学合格を目指し必死に勉強しており、教室の快適性を気にしている暇はありません。

 第一志望の大学合格という切符を手にする上で、ほんの少しでも有利と思うならば、生徒たちは教室環境が劣悪であったとしても、1組に移動することを躊躇しないのです。

 大学合格を目指している生徒にとって2組から1組に移動することは(あるいは1組にそのまま留まることは)、そのような勉強スペースの窮屈さをはるかに上回る便宜があると考えるからです。

企業のケース

 次に、実際の企業の東京一極集中に視点を移してみましょう。

 生徒の目標は第一志望の大学合格でしたが、企業の目標は「最大の利益を得ること」になります。

 企業は必ずしも利益だけを追求するものではないと思われるかもしれません。もちろんそういう見方もありますし、実際にそのような理念を持つ企業も存在します。

 しかし、資本主義という厳しい競争社会では、一般論として、利益追求の否定は市場からの退出を意味するのです。

 企業が利益追求から少しでも距離を置いてしまうと、市場での優位性を虎視眈々と狙っているライバル企業にすぐに追い抜かれ、追い落とされてしまうからです。顧客ニーズにいち早く応え、少しでも安く高品質なものを提供できる企業のみが、より多くの利益を手にし、資本主義社会における生存競争を勝ち抜くことができるのです。

東京から得られる便宜と対面によるコミュニケーション

 さて、企業が大都市であり日本の首都でもある東京に立地することから得られる便宜とはどのようなものでしょうか。

 自社製品や自社サービスの営業や商談の機会、新卒採用やヘッドハントの機会、会計士、経営コンサルタント、デザイナー、IT技術者など実績ある一級プロフェッショナルと接触する機会、同じ業界や他業界についての最新情報や裏情報を人づてに知り得る機会、国会議員や中央省庁と接触する機会などがあります。注2 

 営業のケースで言えば、大都市である東京には潜在的顧客が多数存在するので、それだけ対面によるコミュニケーションの機会が増え、より商談が成立しやすくなります。

 つまり、企業にとって東京に立地することから得られる便宜とは、より多くの企業と対面によるコミュニケーションの機会を作ることができるということなのです。

情報通信革命と対面によるコミュニケーションの重要性

 確かに昔と違って現代では、情報通信革命により対面によるコミュニケーションの手間が大幅に効率化されました。しかし、それによって対面による営業や商談の重要性が小さくなったといえるでしょうか。

 情報通信革命により効率化されたのは、ルーチンワークに属する業務であり、重要な案件については、今でも対面によるコミュニケーションがビジネスの現場で重視されています。
 
 昔も今もこれからも最大利益を目指す企業にとって、取引先を選定する上で、相手企業の経営実績や財務といった過去のデジタル情報だけでなく、長期的な観点から、誰と(あるいはどのような理念をもつトップと)ビジネスするかといった先を見越したアナログ情報も重要な要素になっているのです。
 
 また、信頼できる相手であるかどうかは実際に会ってみないとわかりません。さらに実際に会って対面で話すからこそ、表には出ない情報、思わぬ便宜、コネを通じた他社の紹介といったビジネスチャンスを手にすることもできるのです(実はここだけの話・・、耳よりの話なのだけど・・、確か○○社が・・、など)。
 
 そして、このような裏情報や本音情報こそがむしろ、企業が厳しい競争社会で生き残っていくうえでとても重要になってくるのです。
 
 新規ビジネスは、結局のところ、顔を突き合わせた緊密なコミュニケーションから生まれます。
 
 インターネットがこれほど普及したにも関わらず、今でも対面による採用面接や名刺が存在することからも、以上のことは頷けるのではないでしょうか。

企業にとっての移動によるコストとは

 さて、企業にとっての移動によるコストとは、ビジネスパーソンが東京と地方の間を移動するのに要する時間的、金銭的コストのことです。

 東海道新幹線が開通する前までは、東京から大阪まで出張する場合、移動時間に8時間近くかかっていました。しかし今では2時間40分ほどで行けるようになりました。
 
 飛行機利用でも、都心から空港までのアクセスの利便性向上、便数の増加、スマホでの予約や決済など、空の移動に要する時間が大幅に短縮されました。

移動コストの低下の影響:東京と大阪のケース

 このような移動によるコストの低下は、企業の立地戦略にどのような影響を及ぼすでしょうか。
 
 東京と大阪の2都市を対象に考えてみましょう。
 
 予想される結果は、大阪に本社を構えている老舗企業の多くが東京に流出するというものです。これは大阪だけでなく名古屋でも福岡でも札幌でも同じです。
 
 それまでは、移動によるコストが高かったことにより、大阪の老舗企業は、地元に本社を置く意味がありました。東京と大阪間の往来は、東京のビジネスパーソンにとっては移動時間がかかり過ぎるので、東京の企業が大阪のビジネス圏に参入するのは容易ではなかったからです。
 
 しかし、東海道新幹線の開通により、東京と大阪間の時間的距離が縮まった結果、大阪の企業は地元企業だけでなく、新たに参入してきた東京の企業とも競い合わなければならなくなりました。
 
 大阪のビジネス圏が、移動コストの低下により、東京のビジネス圏に組み込まれてしまったともいえます。
 
 大阪の企業は、地元に留まり続けていては、東京のライバル企業とは勝負になりません。東京のライバル企業は、対面によるコミュニケーションの機会を有効に活用し、それによるさまざまな便宜を多くの企業が密集する東京ですでに享受しているからです。
 
 移動コストの低下により東京のライバル企業と同じ土俵で勝負することとなった以上、大阪の老舗企業は、資本主義という競争社会で生き延びるためにも、本社を東京へ移し、東京のライバル企業がすでに享受している東京での緊密なコミュニケーションによる便宜を同じように享受する必要があるのです。
 
 こうして、大阪の老舗企業が1社また1社と東京に進出し、それが東京での対面によるコミュニケーションの機会をさらに増やし、結果として、ビジネス環境としてはすでに魅力的な東京をより魅力的なビジネス都市へと変貌させるのです。注3
 
 そして、このような企業流出のメカニズムが、大阪の老舗企業のみならず、名古屋、福岡、札幌といった他の地方都市にも波及し、東京一極集中が一層進んでいくのです。

東京一極集中の本質的要因

 東京一極集中とは、以上のように、企業による経済合理性に則った現象なのです。

 そして、その現象を引き起こす本質的要因とは、移動コストの低下なのです。注4

 冒頭でも述べたように、これまで政府や地方自治体によって、さまざまな企業誘致を目的とした補助金政策が打ち出されてきました。しかし、東京一極集中という現象は、企業が最大の利益を得ることを目指している以上、是正するのが非常に難しい都市問題なのです。

 先の高校の例でいえば、企業誘致を目的とした補助金政策とは、1組の教室が窮屈であり授業環境としては不適だからという理由で、1組の生徒に空きスペースのある2組に移るように促す政策といえるからです。1組の生徒に授業料を1割安くするという条件を出しても、第一志望の大学受験を控えた生徒からすれば、それでも応じないのではないでしょうか。

 これは企業にとっても同じです。厳しい競争社会に身を置いている以上、企業に金銭的動機を提供しても地方移転にはなかなか応じてはくれないのです。

 多くの大手企業や大手マスコミ、中央省庁、各専門分野の実績あるプロフェッショナルが集う東京という大都市から受ける様々な便宜というのは、企業にとってはビジネスから距離を置く我々が想像するよりもはるかに大きな価値をもつものなのです。注5

生活者の視点とビジネスの視点

 新幹線や飛行機が日常的に利用できるようになり、とても便利な世の中になりました。生活者の視点でみれば、もちろん自然豊かで歴史や文化の残る地方の方が理想的な住環境といえます。しかし、ビジネスという視点でいえば、ヒト、モノ、カネ、情報が密集する東京は、企業にさまざまなビジネスチャンスを提供してくれるのです。

 移動コストが低下したことで、全国に分散していた企業が東京に集まり、対面によるコミュニケーションを通してさらに別の企業が引きつけられるという、このきわめて強力な集中メカニズムを反転させるには、これまでとは次元の異なる大胆なアイデアが必要なのかもしれません。

注1:対面によるコミュニケーションは、「フェース・ツー・フェース(face-to-face)によるコミュニケーション」と表現されることもあります。

注2:それ以外にも、有能な国際弁護士と接触する機会、海外展開している大手商社と接触する機会、大手金融機関の幹部と頻繁に接触し、信用を得て多額の融資を得る機会、大手マスコミの情報発信力を利用する機会などがあります。

注3:また、東京都内の地下鉄や市電、タクシーなどの移動手段がより充実すれば、企業数が一定でも東京での対面によるコミュニケーションの機会はより増えることになります。

注4:つまり東京一極集中とは、移動コストの低下によってビジネスパーソンのフットワークが軽くなった結果、東京のビジネス圏が拡大し、それによりビジネスが最も活発な東京が地方の企業を引き寄せてしまうという吸引現象のことなのです。そして、その対面によるコミュニケーションを核にした磁力は、企業が東京に集中すればするほど強まり、東京一極集中が一層進むことになるのです。

注5:東京一極集中が引き起こす地価や賃金の上昇は、企業の東京進出の歯止めにはなりません。東京一極集中とそれによる対面によるコミュニケーションの増加が、土地や労働者の生産性を上昇させ、それが結果として、企業への貢献度によって決まる地価や賃金の上昇を引き起こしているからです。つまり、移動によるコストが上昇しない限り、企業の東京進出を抑制することはできないのです。



経済学部 浄土渉


2019年1月12日土曜日

【学問のミカタ】きのこたけのこ戦争と巨大IT企業の違い

 皆さん明けましておめでとうございます。厄年の黒田です。新年早々初詣もせずにアトランタで開催された全米経済学会に参加したところ、帰りにバッゲージロストで家に入れないといういかにも厄年らしい年明けを迎えました。
One Wayってちゃんと書いてありますね!
来年度は他の仕事を引き受けることになったので、残念ながらこのブログの担当からは離れることになりそうです。そこで、最後に僕が研究しているプラットフォームの経済学について、ざっくばらんに記述してみました。以下、ご笑覧頂ければ幸いです。

・きのこたけのこ戦争
 君は「きのこたけのこ戦争」を知っているだろうか。「きのこの山」と「たけのこの里」はどちらも明治製菓が1970年代から販売し続けているロングセラーのチョコレート菓子だ。どちらもクッキーまたはビスケットをチョコレートと組み合わせたお菓子である。しかし、どうも世の中には「きのこの山」と「たけのこの里」のいずれか一方に強い好みを持ち、他方よりも優れていると考える人もいるようだ。明治製菓はこの事実を活用して、2018年に「きのこの山たけのこの里国民総選挙」なるイベントを行っている。

 「きのこの山」が「たけのこの里」よりもずっと好きだという人が、「たけのこの里」が好きだという人に戦いを挑む必要があるのだろうか?素直に自分が好きな方を買うだけで良いのではないだろうか。おやつを分け合わなければならない間柄でれば、今日はきのこ、明日はたけのこ、とすれば平和な間柄を維持することができそうなものである。経済学では選択肢のどれでも構わない事を「無差別」と表現する。この事例であれば、「僕にとってきのこの山もたけのこの里も無差別」等と気取って表現したりしておけば争いを起こす必要は無い。明治製菓はきのことたけのこにあえて異なる公約を掲げることで、人々を党派に分断し、戦いを激化させてようとしているようだ。しかし、明治製菓の陰謀にもかかわらず、多くの人にとって「きのこの山」と「たけのこの里」はいずれも受け入れ可能な美味しいお菓子の一つに過ぎないだろう。

 「きのこの山たけのこの里国民総選挙」とは違い、しばしば人間は自分の好きなものを他者にも勧めようとし、異なるものを好む者の間で争いが生じる事がある。アイドルグループの「推しメン」や「担当」等という言葉を聞いたことはないだろうか。ソニーのゲーム機である「Playstation」や任天堂のゲーム機である「Switch」に強い愛着を感じ、他を貶める「ゲハ厨」と呼ばれる迷惑者を見たことはないだろうか。自分が好きなものが好きであるだけでは飽き足らず、他の人にも自分の好きな者を推す者がおり、その結果、実際に争いが起きて、討ち滅ぼされる者がでてきてしまう場合がある。

・現代の産業の2つ特徴「規模の経済」と「ネットワーク効果
 経済学は、自分が好きなものを他者に推す行動が、きのこたけのこのような単なる自己満足に終わらず、社会の相互作用を通じて実質的な効果を持つ場合を大きく二通りに分けてきた。一つ目は、「規模の経済」と呼ばれる性質で、製品やサービスを作る時に、たくさん作れば作るだけ一つ当たりの費用が低くなる場合である。もう一方は、「ネットワーク効果」と呼ばれる性質で、製品やサービスを使う人が増えれば増えるだけ、ある人が財やサービスが選ばれやすくなる場合である。このどちらもが、類似する二つの財が、ひとたび他に比べて多く消費されるようになると、それだけが世に残り、他を討ち滅ぼしてしまうようになるかもしれないのである。

 先に挙げたアイドルグループの「推し」は、「規模の経済」によって生じる性質である。「きのこの山」と「たけのこの里」はクッキーまたはビスケットとチョコを楽しむお菓子だ。ファンが増え多くの人が買うようになると、その分クッキーまたはビスケットとチョコレートを沢山仕入れなければならないため、消費が増えれば費用も増えてゆく。万一皆が突然「きのこ派」になりキノコを買い求めれば、工場や倉庫の限界に到達するだろう。一方、アイドルグループは歌や踊りによって魅力を伝えるものだ※1。このためには歌や踊りを作成し、アイドルをトレーニングする費用がかかる。しかし、これらの費用はそのアイドルグループのファンが増えても増える事は無い。財やサービスを利用する人が増えても費用が増えない、むしろ利用者が増えることで1人当たり費用は減ってゆくことを「規模の経済」という。ファンが増えれば増えるだけそのアイドルに追加的に一曲を歌い、踊って貰う事で得られる収入も増えるのだから、運営会社はは人気のあるアイドルには次々と新しい歌と踊りを提供させようとするだろう。方や、人気の出ないアイドルは楽曲も増えず、コンサートの回数も増えず、やがては引退・解散などという運命を辿ってしまうかも知れない。アイドルの「推し」をする事で、ひょっとすると「規模の経済」が動き出し、より長く、より多くのライブを楽しめるようになるかも知れないのである。

 一方のゲームハードの「推し」は、「ネットワーク効果」によって生じる性質である。「きのこの山」と「たけのこの里」は自分が食べて楽しむお菓子だ。他の人が自分の「推す」お菓子を食べていても、自分が食べる事はできない。※2。一方、「Playstation」や「Switch」はゲームハードそのものを消費するものではなく、ソフトを楽しむものだ。「Playstation」と「Switch」のどちらでも構わないと思っている人に、自分が利用しているものと同じ機種を推し、同じ機種を利用すれば、オンラインマルチプレイをする事ができたり、ゲームソフトの貸し借りをする事ができるようになる。マルチプレイやソフトの貸し借りなどを通じて、他の人が自分と同じものを買うことで、自分が感じる価値が高くなる性質を「ネットワーク効果」と呼ぶ。これからどちらのゲーム機を買おうか迷っている人は、既により多くの人が所有している機種を選ぶことで、より多くのマルチプレイやソフトの貸し借りの機会を期待することができる。方や、人気のないゲームハードではそのような機会は殆ど訪れることはないだろう※3。ゲーム機を「推す」事で、ひょっとすると「ネットワーク効果」が動き出し、より多くの相手と、より多くのタイトルを楽しめるようになるかも知れないのである。

・巨大IT企業の経済学的解明
 「規模の経済」と「ネットワーク効果」は多くの人が支持する勝者と、支持されずに消えてゆく敗者を生み出していく傾向にある。しかし、アイドルやゲームハードが「規模の経済」や「ネットワーク効果」で勝者と敗者に分かれることは社会にとって深刻な問題ではない。いったいどれだけの人が「光GENJI」やセガのゲーム機を覚えているだろうか?仮に「推し」が解散・引退してしまい、他のアイドルが覇権を握ったとしても、次の「推し」を見つけたり、アイドルファンを引退してしまえば、日々の生活に支障が出ることは無い。ゲームハードについても、購入したハードが普及せず、他のハードが覇権を握ったとしても、日々の暮らしに支障が出ることは無いだろう。ところが、「規模の経済」や「ネットワーク効果」の存在が、現代社会にとってとても深刻な問題となるのではないかという懸念を持つ人が増えてきている。

 「デジタル・プラットフォーマー」と呼ばれる巨大IT企業群をどう取り扱うかが、日本のみならず、米国・欧州共通の政策上の問題となっている。日本政府はプラットフォームを対象にした専門組織を構築し、その監視や調査・分析をする組織を作る事を検討している。ここで問題にされている巨大IT企業群というのは、GoogleやAmazon等の事である。人曰くこれらの企業は「私たちの生活とビジネスのルールを根本から変えつつあり、これからも変え続ける」のだそうだ。また、これらの企業を取り締まろうとする若手の台頭に対し、「米国のIT(情報技術)・通信の大企業が反トラスト(独占禁止)当局者の引き抜きに乗り出している。原文)」とされている。

 経済学で理解するところの巨大IT企業群※4は、「規模の経済」と「ネットワーク効果」を巧みに利用している所に特徴がある。彼らの「規模の経済」の源泉は、様々な分野の博士号取得者を数多く雇用する事で築き上げた知識によるサービス生産だ。彼らの「ネットワーク効果」の源泉は、ゲーム理論と統計学を駆使する経済学者によって力強く組み上げられる業務過程だ。

 「きのこの山」と「たけのこの里」をすばらしく効率的に作る機械を開発しても、クッキー・ビスケットやチョコレートの費用を無くすことはできないし、輝く才能を持ったスターの卵が他の人よりも早く上手く歌やダンスを身につける事ができたとしても、5分の歌とダンスを披露するには5分が必要だ。従来型の企業は容易に「規模の経済」の限界に到達してしまう。しかし、巨大IT企業で働くソフトウェアエンジニアの「規模の経済」は今だ限界に到達していない。

 Googleの基幹システムの構築を行ったジェフ・ディーン(ワシントン大学コンピュータサイエンスPh.D)には次のような伝説がある。
ジェフ・ディーンが2000年後半にキーボードをUSB2.0にアップグレードしたとき、彼がプログラム・コードを生み出す速度は40倍になった原文)」
USB1.0からUSB2.0に規格がアップグレードし、コンピュータとキーボードの間の転送速度が40倍になった事で、彼のコードを書く速度のボトルネックが解消されたという伝説だ。この伝説が生まれた背景には、ソフトウェア・エンジニアの間では並の人間と彼のコードを書く能力には数十倍では済まない差があると認識されていたこそ広まった伝説なのだろう。実際、数百人のチームが何ヶ月もかけて解決出来なかった問題を、一人のプログラマが一夜にして解決する事などソフトウェア界では珍しくない。さらに、コードをひとたび書けば、そのコードは世界中のコンピュータで同時に動かすことができる。一人の書いたコードが処理時間を1秒縮めた効果は、そのコードの利用者数が増えるだけ増えるのだ。つまり、利用者の多いソフトを提供している会社であればあるだけ、より優秀なプログラマを雇う事で大きな効果を上げることができるため、より優秀なプログラマを雇う誘因を持ち、より優れたサービスが提供されるようになるのである。

 巨大IT企業群は「ネットワーク効果」の使い方も巧みである。消費者に選ばれ続けるためには、消費者にとって最も魅力的なサービスであり続ける必要がある。GoogleやAmazonは自社が次に提供するサービスとして、既存のサービスのユーザにとって最も魅力のあるユーザを引きつけるようなサービスを見つけている。Googleが検索サービスだけの企業であったとき、Googleは検索連動型広告サービスを始めた。消費者にとって興味の無い広告が大きな割合を占めるテレビや雑誌の広告に対し、検索連動型サービスは入力したキーワードに関わる広告が表示されるため、消費者は関心のある事柄についての広告を目にする事ができる。企業も、自社の製品に興味を持ちそうな人に対して広告を表示することができる。これは消費者にも、広告主にも望ましい「ネットワーク効果」だ。続いてGoogleは「Map」「翻訳」「Youtube」「Android」など、様々なサービスを開発・買収してきた。世界のインターネット利用率はまだ40%台であるから、利用者数はまだまだ増えるだろうし、、インターネットを通じて消費されるサービスはまだまだ増えてゆくだろう。「ネットワーク効果」を通じたサービスの改善を続けるために、巨大IT企業群は次々と経済学者を雇用するようになっている。その先鞭となったのは、Googleだ。
 
 Googleはその黎明期である2002年にカリフォルニア大学バークレー校の経済学者であるハル・ヴァリアン氏をチーフエコノミストとして迎え、競争戦略の中核に関わる部分についての助言を受けている。ヴァリアンの『ネットワーク経済の法則(Information Rules)』はネットワーク効果を理解するための素晴らしい入門書であることは、彼をチーフエコノミストに迎えたGoogleの経営陣みならず、Amazonの設立者のジェフ・ペゾスも認めるところである。Microsoftも著名経済学者であるスーザン・エイシー氏をチーフエコノミストとして迎えているほか、Amazonは多数の経済学博士号取得者を雇い、数多くの経済分析を用いて事業構築を行っている事が知られている。Amazonの東京オフィスでもノースウェスタン大学・香港科技大学に勤めた渡邉安虎氏をシニアエコノミストとして迎え、日々の事業改善に向けた分析を行っている。

・巨大IT企業による覇権と経済学
 巨大IT企業が次々と魅力的なサービスを提供し、成長してゆく裏側には、敗者の存在もある。巨大IT企業の覇権拡大はインターネット上から始まった。Googleに検索サービスの覇権を奪われたYahoo!、ソーシャルネットワークの覇権を奪われたMyspace、携帯電話用インターネットプラットフォームの覇権を奪われたiモード※5が著名な負け組である。近年に入ると、巨大IT企業群の覇権拡大はインターネットの外の世界に飛び出した。AmazonやSpotifyに顧客を奪われ倒産してゆく書店レコード店たち、UBERに顧客を根こそぎ持って行かれたタクシー運転手たち。世界のトップ大学の講義を履修できるオンライン大学講座なんてのも登場している。この先も巨大IT企業に次々と既存企業が飲み込まれてゆくだろう。

 経済学者は企業が巨大である事が規制の根拠にはならないと考えている。また、巨大IT企業が次々と既存企業を飲み込み、負け組を作っていくことを規制すべきであるとも考えてはいない。※6しかし、組織が巨大であること自体が何かしらの悪影響を持つかも知れないし、政府による統治権を脅かし、経済の秩序を失わせることになるかも知れない。各国政府はそうした事への懸念から、何かすべき事は無いかと模索しているのだ。

 政府が何をすべきかを考えるツールとして、経済学は最も有益なツールのひとつだ。なぜなら、「巨大IT企業が経済学を武器に事業を構築している」。少なくとも相手と同じ武器を携えていなければ、戦いの土俵に上がることはできないだろう。また、これから起業家として、もしくは企業のマネージャーとして巨大IT企業と戦い、GoogleやAmazonを凌ぐ巨大企業を作るためにも、経済学は助けになるだろう。Googleを育てたハル・ヴァリアンのように、次の世界的企業を育てる経済学者がいつ生まれてくるのだろうか。これまで一時的に覇権を握って来たIT企業の多くは「規模の経済」と「ネットワーク効果」をより上手く使った新興企業に覇権を奪われてきた。ひょっとすると、次の革新は「規模の経済」と「ネットワーク効果」ではない性質の理解によってもたらされるのかも知れない。経済学を学び、世界の覇権を巡る競争を理解し、次の時代作りに参加する挑戦権を是非握って欲しい。巨大IT企業との戦いはまだ始まったばかりだ。ようこそ、このワクワクする経済学の世界へ。

※1 自分と他者が同じアイドルを支持する事で自己満足を感じる人もいるかもしれないが、そのような人がいなくとも「規模の経済」は機能する。
※2 人が食べているところを眺める事で生じる自己満足はあるかも知れないが、無くても「ネットワーク効果」は機能する。
※3世界ではそこそこ売れているXboxだが、日本で2018年にはようやく10万台を突破程度だそうだ。一方、Switchは2018年再度の一週に17万台、PS4は5.8万台とまさに桁違いの販売台数である。出典:メディアクリエイトhttps://www.m-create.com/ranking/index.html(2019年1月11日アクセス)
※4 GAFAとかFANGとかBATHとかMANTとかいろいろなグルーピングがある。僕はAmazon、Google、Microsoftの3社は他に比べて別格だが、その他は同じ土俵に登っていないし上りそうにも無いと思うのだが、10年後どうなっているか楽しみである。
※5 僕はiモードが駆逐されたのは、GoogleやAppleのサービスが優れていたからであって、彼らが優れていないにもかかわらず誤って成功したわけでは無い事を示した論文を書いている。
Toshifumi Kuroda, Teppei Koguchi, Takanori Ida, Identifying the effect of mobile operating systems on the mobile services market, Information Economics and Policy,2018.
※6 そうではない経済学者もいるかもしれないが、巨大IT企業の規制に直結した研究でノーベル賞を取ったジャン・ティロール氏はそのような考え方である。同士の一般向け著書である『良き社会のための経済学』は大変な良著である。

2018年12月21日金曜日

経済学部 特待生懇談会

東京経済大学には、一般入試・センター利用入試等の成績によって
最長4年間の授業料が免除される特待生制度があります。

この度、12月21日(金)のお昼休みに経済学部として初めて
特待生の1年生を囲んでの懇談会を開催しました。















南原学部長のご挨拶に続き、今年度より客員教授に就任された
モンスターエナジー・ジャパン代表の松本充弘先生から1年生に
熱いメッセージが送られました。















最後に、特待生の皆さんと大学や授業に対して意見交換をし、
閉会しました。

今年度は38名の特待生を経済学部にお迎えましたが、
今後も継続的に交流の機会を持てればと考えています。

経済学部 安田宏樹