2017年7月23日日曜日

【学問のミカタ】科学における理論・モデル・エビデンス-経済学の「理論」とは

全学部コラボ企画、「学問のミカタ」、2017年度7月担当となりました黒田です。

全学部コラボ企画「学問のミカタ」ではそれぞれの執筆者が自分の専門テーマなどをわかりやすく解説していきます。このブログの記事を通じて、皆さんが経済学は面白い学問だと思って頂ければ幸いです。今回は、経済学の研究が行われる「理論」「モデル」「エビデンス」という3つの段階のうち、「理論」について記し、残りの「モデル」「エビデンス」についてはまた後日別記事としてUPしようと思います。また、「理論」「モデル」「エビデンス」と進められる経済学研究の例として、僕が行っている研究、特にNHKと共同研究を行った「メディアと政治」についての研究を中心に、それぞれの段階でどのように考えているのかを紹介していきたいと思います。

僕がいま研究しているテーマの一つに「メディアと政治」があります。「メディアと政治」というテーマが経済学の研究テーマになるのは意外だと思われた方もいるのではないでしょうか。しかし、「メディアと政治」は経済学者の間で強い注目を集めているテーマです。2014年「メディアと政治」に関する研究を行ってきたStanford UniversityのMatthew Gentzkow教授がジョン・ベイツ・クラーク賞を授賞しました。同賞はアメリカ経済学会がアメリカで働く40歳以下の経済学者のうち、経済学の考え方と知識に最も顕著な貢献をした1名を受賞者として選定する賞で、ノーベル経済学賞を含めた数ある経済学賞の中でも最も授賞が難しいとされています。Gentzkow氏が行った「メディアと政治」の研究は、経済学者が経済学をより良く理解するために最も貢献した研究のひとつであると評価されたのです。

「メディアと政治」について研究しているのは経済学者だけではありません。コミュニケーション学者、社会学者、心理学者、政治学者など、さまざまな分野の研究者が「メディアと政治」について研究をしています。経済学者による「メディアと政治」の研究は、別の分野の研究者の行う「メディアと政治」の研究とどのような関係にあるでしょうか。

学問分野を特徴付ける要素には、「理論」と「対象」があります。経済学、社会学、心理学は主に理論によって特徴付けられている学問だと考えられます。同じ「メディアと政治」というテーマを見るときに、経済学には経済学の理論を使って分析をしようとします。同様に、「メディアと政治」を見るときに、社会学者は社会学の理論を、心理学者は心理学の理論を用いて分析をしようとします。一方、政治学やコミュニケーション学は主に「対象」によって特徴付けられている学問です。政治学者は「政治」というテーマについて、経済学や心理学、社会学の理論を通じて分析します。コミュニケーション学は、コミュニケーションというテーマについて経済学や社会学や心理学の理論を通じて分析します。

「経済学」と「商学」「経営学」の違いも、「理論」による特徴付けと、「対象」による特徴付けから理解する事ができます。経済学は「理論」によって特徴付けられているのに対し、「商学」や「経営学」は分析対象によって特徴付けられています。「商学」や「経営学」は、経済学、社会学、心理学などの理論を用いて「商学」や「経営学」の分析対象を分析する学問です。逆に、経済という分析対象を社会学や心理学の理論を用いて研究している人が経済学者を名乗ったとき、経済学の理論を使って研究を行う事が経済学だと考えている経済学者からは「異端派経済学者」とみなされるでしょう。

経済学の「理論」を特徴付ける要素の一つは、「人は自らの置かれた環境で選択可能な選択肢の中から、もっとも好ましいと判断した選択肢を選ぶだろう」という理論です。人の選択がこのように行われている事を、経済学では「合理的選択」と呼びます。例えば、僕が理学部物理学科を中退して経済学部経済学科に入学し、物理学者ではなく経済学者になったのは、僕が経済学者として生きる道を物理学者として生きる道よりも「好んだ」ために、経済学者になる道を「選択した」とみなすということです。心理学者はなぜ私が物理学者になるよりも経済学者になったのかを、僕の内部にある生理的作用から探っていくための理論を持っています。また、社会学は僕が物理学者ではなく経済学者になるに至った社会的要因を探るための理論を持っています。しかし、経済学は人の中で起きていることや、社会という集合体がもつ影響力はいったん差し置いて、人間が「選択した」ものはきっとその人が選択できる選択肢のなかで「好んだ」ものだったのだろうと考えます。そのように想定する事で、経済学は人間行動を数学の言葉で記述された「モデル」によって表現する事ができるようになります。経済学の「合理的選択」とは、一般に連想される理性的な、けれども何処か冷たい感じのする選択を示すのではなく、経済学の「理論」と「モデル」の間の橋渡しをするために付けられた便宜上の名前に過ぎません。

この「合理的選択」の理論を使って僕は「メディアと政治」を研究しています。「メディアと政治」について、僕が関心を持っている人間の「選択」は、「メディアの経営者やジャーナリストは報道する内容をどのように選択しているだろうか?」という情報を送る側の選択と、「人々はどのように利用するメディアを選んでいるだろうか?」という情報を受け取る側の「選択」です。また、「メディアの報道の選択や人々の利用するメディアの選択の結果、世の中はどのように変化していくだろうか?」という事にも関心を持っています。しかし、人々の選択を組み合わせたとき、どのような社会的帰結が起きるかを説明するためには「ゲーム理論」という追加の理論が必要です。ただでさえ長い記事がますます長くなってしまうので、さしあたりこの連載では「合理的選択」の理論から説明できる送り手の選択と、受け手の選択を説明する理論のみについて説明していくこととします。

僕にとって物理学者よりも経済学者になることが好ましいから僕は経済学者を選んだのだろうと経済学の理論がみなすように、「メディアと政治」の経済学では、「メディアの経営者やジャーナリストがこのニュースを報道することを決めたのは、それが他のニュースを報道するよりも好ましいと考えたからだろう」であるとか、「人々がニュースを新聞ではなくインターネットを使って見ようとするのは、新聞よりもインターネットを使う方が好ましいからだろう」と考える事になります。それでは、メディアの送り手にとって、どんな記事が好ましいと判断されるでしょうか。また、受け手にとって、どんなメディアが好ましいと判断されるでしょうか。それを分析するためには、何が合理的選択で、何が合理的選択ではないかを特徴付けるための「モデル」が必要になります。モデルの作り方次第では、「合理的選択」は一般に連想されるような冷たい人間のみならず、他人を思いやる人間、熱意に溢れる正義の人、後先考えない愚か者にもなりえます。次回は、理論と現実の橋渡し役を行う「モデル」という概念について説明したいと思います。

投稿者:黒田敏史